1. PLAYBOYの誕生

    2010年03月04日

    1953年、アメリカで雑誌「PLAYBOY」が創刊された。

    いわゆる成年娯楽誌の代名詞となったPLAYBOYではあるが、ファッションやスポーツ、政治まで含めた娯楽誌なのである。著名なSF小説も発表されており、まさに「大人の総合誌」とでもいう内容である。

    そのPLAYBOY社の創設者である"ヒュー・ヘスナー"氏が「大人のディズニーランドを作る」という方針のもと、1960年アメリカ・シカゴに「PLAYBOY CLUB」を開設し、そこのウェイトレス衣装として製作されたのが「バニーガール」の登場ということになります。


  2. PLAYBOY CLUB と バニーガール

    2010年03月04日

    1960年アメリカ・シカゴでPLAYBOY CLUBが誕生した。

    コンセプトは「大人のディズニーランド」。PLAYBOY誌が提案する、大人のエンターテインメントの場としての登場でした。

    そのPLAYBOY CLUBの衣装として製作されたバニーガールですが、初期の段階ではウェイトレスにセクシーなガウンを着せるという案もあったそうです。
    しかし、それでは特徴が無いということで、できるだけセクシーな雰囲気を出しつつ、フォーマルな部分も残したいということで、燕尾服から不必要な部分をそぎ落として行った結果に、PLAYBOYのマスコットである「ウサギ」の要素を組み込んだのがバニーガールという形になったのです。

    1960年当時のバニーガールは、まだ素材等の問題もありコルセット状のボディに普通のストッキングで、カフスもタイも無いシンプルな姿でしたが、数年後には、現在とほぼ変わらない姿に改良されていきました。ただし、網タイツではなくシームありのストッキングでしたが。

    その後、PLAYBOY CLUBは世界へ進出して行くにつれ、このバニーガールも世界へと飛び出していくことになります。


  3. 日本でのバニーガール

    2010年03月04日

    全国で「やぐら寿司」を経営する大和実業の創業者である岡田一男氏が、会員制クラブを作ることを考え、世界各国の会員制クラブを視察した結果、PLAYBOY CLUBの大人のエンテーテインメント性と高級会員クラブというコンセプトを併せた店舗を作ることとなり、1964年に「エスカイヤクラブ」を誕生させた。

    このエスカイヤクラブの誕生によりバニーガールは日本で知れ渡ることとなり、その後1965年から放送が始まった11PMのアシスタントの衣装として採用され、広くお茶の間に認識されていったのである。

    その後、エスカイヤクラブは社交場として高級会員クラブとしていたことから、将来エスカイヤクラブの会員となっていくであろう年齢層に向けて、敷居を下げエンターテインメント性を強めた「The Royal」を1972年にオープンさせていく。これにより、一般層にもバニーガールは身近な存在となっていくのであるが、そこには今でいう風俗的な象徴ではなく、大人の社交場を演出する存在としてのバニーガールだったのである。いつかは出世してエスカイヤクラブの会員になる、そう思ったサラリーマンも少なくないと言う。

    時は流れて現在。The Royalは使命を終えてすべて閉店してしまった。本家であるPLAYBOY CLUBも1986年にすべて閉店している。1988年にラスベガスにカジノ形式のPLAYBOY CLUBが新たにオープンしたが、最初のコンセプトとは別物となっている。